能楽は猿楽・田楽に由来し、鎌倉・室町時代に観阿弥・世阿弥が幽玄美を理想として完成させたものです。諸大名の庇護の下発展を続け、今日では世界無形遺産に指定されています。

<能面以前の面>

神楽面:奈良時代に中国から伝来。神楽に使用された大きな面。
舞楽面:平安時代に宮廷儀式として定着、雅楽に使われる伎楽面より小さく能面より大きい。鎌倉時代に入ると衰える。
行道面、追儺面:僧侶が行う練行養に使われた仏像面が行道面、節分や鬼やらいに使用される鬼面が追儺面。
猿楽、田楽:鎌倉中期に生まれる。民衆の信仰と結びつく翁舞や物まね、寸劇を演じた。武士政権の庇護を受けた。

<世阿弥、観阿弥による能楽の大成>

観阿弥清次:南北朝時代、伊賀に生まれた。結崎座(観世)を立て、春日神社の神事に従う。晩年、将軍に認められた。
世阿弥元清:観阿弥の子。十二歳で将軍足利義満の殊寵を受けた。五十曲以上の能を作った。父観阿弥の考えを文章にして纏めた「風姿花伝」は日本最初の能に関する芸論書として日本文学や芸能に大きな影響を与えた。

<桃山、江戸、現代>

秀吉は能を保護し摸作面の製作を角坊と出目吉満(是閑)に命じ、天下一のご朱印を与えた。宗家にある室町時代に芸術的に完成されていた能面を「本面」、それ以降摸作されたほとんどの面を「写し」と言う。
明治維新で保護者を失った能は危機に至ったが、皇族の後援、能楽師の努力により立ち直り現代の盛隆を極め、ユネスコの「人類の無形遺産」に選定されるに至った。